8)「もし!」(仮定の話)

8)「もし!」(仮定の話)

第一回目の「もし」は、

緒戦で圧勝した、時に、「ABCD包囲網の解除をすれば停戦に応じる」のメッセイジを送ったら、どうなったか? である。

第二回目の「もし」は、

翌、昭和170年、春には英国のシンガポール要塞、香港島要塞が陥落、続いてアメリカ・フリッピンのバターン半島要塞も陥落。二度目のチャンスはこの時である。

★だが、この時、暗夜に紛れ、家族のみを連れ、要塞の守備隊78.000を捕虜に残し脱出する、マッカーサー司令官が残した言葉、『ウイシャル・リタ―』(我々は必ず帰って来るぞ!)はアメリカ軍の闘士を表している。

★コレヒドール要塞に守備隊の部下、78000名を置き去りにして、結果は敵日本軍の捕虜とされた事は、軍人としての、マカーサーの最大の汚点であった。

この悔しさは、後の彼、マッカーサーの行動に表れている。

第三度目の「もし」は、

オランダ領(現・アサヤン諸国)、南洋の油田地帯の、ロイヤル・ダッチ・シェル東洋最大の油田を占領、落下傘部隊の奇襲攻撃の、戦果としては石油25万トン、英米機若干とその他の兵器資材を鹵獲し、放火により油田設備の一部に火災が発生したものの大規模破壊は避けられた。

★「石油、その他の戦略物資の売買を友好的に行えば、占領地からの撤退の撤退に応じるメッセイジを送る事である。

―日本が負けたのはアメリカ一国であるー

★アメリカ軍以外の、英、仏、蘭の三国の軍隊は日本に敵対する力はなく、アジアの植民地を有した、イギリス、オランダ、フランスは、緒戦の一ラウンドで、ノックアウトで二度と立ちあがれなかった。

★だが、アメリカは、「ウイシャル・リタ―』(我々は必ず帰って来るぞ!)の宣言通り、

体制を建て直し軍備の補充をし、アメリカ自慢の工業力に物を言わせ、我の数倍の兵力での反撃が始まった、結果御存知の通り、我が日本の完敗であった。

―ヒットラーの告白―

東部戦線のソ連軍、西部戦線のアメリカ軍、に挟撃され、ドイツの敗戦が決まった頃に、側近に呟いた言葉に、

「国家社会主義のドイツは、米ソの挟撃を受けて最早敗戦は決定した。

しかし、不に落ちなのが、アメリカの英、仏の見方した参戦である。

★「ルーズベルトは、第一次世界大戦の参加し、勝利はしたもの、米軍の死傷者が予想以上に多かった。

そこで今回の選挙で、今後はヨーロッパの戦争には、一切関わらないので、貴方方の御子息が命を落とす事も、血を流す事はありません」、と、宣言して当選した大統領である。

★それが、何故、英、仏の身方で参戦するのだ? 

また、日本は、ドイツの英、仏の戦いで勝利が見えた時の、独ソ戦は有利に展開していたのだ。そこで、日ソ不可侵条約等は破棄し、ソ連の背後を付いてくれれば、共産主議のソ連の崩壊は間違いなかった。

★それなのに反対に、工業力の差も考えず、何故、日本が対米戦争に踏み切ったのか?

は判らない。「事実は神ののみぞ知る!」、である。

★しかし、当時の近衛内閣には、ソ連とマスコミにスパイが、入り込んでいた、「日本の生きる道は南方進出だ!」、のマスコミの論調と、与論はでき上がっていたのである。

戦後の日本の進路等の誘導等、何れにしてもマスコミの罪は重い。

             続く、

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