9、戦争責任への謝罪について、
筆者が平成30年12月8日、『臨時ニュースを発表します』を投稿し、について、この意見にある程度賛成だが、「天皇が戦争責任に対し国民に謝罪していない」、「マカーサーも日本に謝罪していない」、の意見がありました。
―それに反論をしますー
昭和20年8月15日、『ポツダム宣言を受託する』の天皇陛下のひと言で、終戦、以後は一発の銃声も聞く事がなく戦闘は終わっている。
翌日からアメリカ始め、連合軍の占領下に入りました。
★占領軍の命により「大東亜戦争」という呼称は禁じられ、『太平洋戦争』と言われる事になりました。しかし、私共は思いました。シナ大陸の方が戦争は、長く、広範囲で行われたのに、不思議な事だ、思いましたが占領軍の命には逆らえせません。
占領軍は、日本は戦争中に、「近隣諸国に多大な迷惑を掛けたので謝りなさい」、と命じられた。
★日本の戦争目的は、『アジアの国々を、欧米の植民地から解放して独立国』にさす事でした。
しかし負けた日本は、それを封印して、アジアの人は愚か、外国人に合えば、「その節は、大変ご迷惑を掛けまして・・・」、と謝り続けました。
その間に、アジア諸国の人々は、日本人が教えた独立する事は忘れません。
南洋諸島と呼ばれオランダの植民地(今のインドネシア地区)の若者が、日本がアメリカの負け、撤収した後に戻ってきたオランダ軍と、日本軍の残した武器、弾薬を持ち、日本軍に教えられた方法で戦ってオランダ軍を撃退し、独立を果たしました。
英国領、マレい―半島はマレーシア、インド、ビルマ、フランス領だった、ベトナム、カンボジャ、ラオス等、全ての国は独立し、経済も発展し、旧・宗主国に市場とて、彼の国の経済に貢献し、植民地は亡くしたが、それ以上の利益を得ている。
★占領軍に命じられ、自虐思想を植付けられ、謝罪して回った行為は間違っていたのでないだろうか!?
嫌、今次大戦の結果は、途上国の人々を植民地から解放し、独立させ、今では全て国連加盟国で、その数、193ヶ国である。
植民地を亡くした、創主国、旧・植民地から独立し諸国共々経済は発展し、相互に市場を提供し、相互に繁栄している。
アジアの人々に迷惑を掛けた、というが、寧ろ、幸せを齎し、世界の人々全てがハッピーである。
日本の起した戦争はむしろ誇るべきである!
★―遅すぎたマッカーサー元帥 の悔悟―
★事実、昭和25年10月トルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りであった」と 告白。
さらに昭和26年に米国上院において「日本が行った大東亜戦争は 正当防衛であり侵略戦争ではなかった」と公式に証言している。
★一方の日本の昭和天皇は、終戦の詔勅を発布した後、御付の方々が、陛下が割腹自殺をさせないように目を離さなかった、と聞いています。 そのくらい心情であったらしいです。
しかし、それは死ねば自由になれる。
自分だけ自由になるわけにはいかない、のは責任感からである。
★終戦と言って、「降伏」と言わなかったのは、国家、軍隊を陛下の指揮下に置いた方が、国民、軍隊を統制ができると考えての事で正しい事であった。
★連合軍の進駐が始まり、占領軍の総司令部ができた直後の『20年9月21日』総司令部に通訳ひとり(警護の随員はなし)を連れてマッカーサーを訪問した。
マッカ―サーは随員なし、と聞き『命乞いか、亡命の依頼か?』と思って横柄な態度で臨んだ。
★陛下は開口一番「戦争は全ての責任者は朕であります!」。
「我が国に戦犯は存在しません。裁くなら朕を裁け。結果が『極刑』(死刑)でも甘んじて受ける」。
のマッカーサーは言葉に驚き、態度は一変。
陛下の肩をでき抱えるようにソフアー座らせ、部下かに命じた。
「配下はお疲れのようだ。コーヒーをさし上げ、ひと休みして頂け」。
さらに天皇は持て来た包を差出し、
「これが朕の自由になる皇室財産の全てです」。
「家も衣類も焼かれ、その日の食べ物にも事欠く8000万の国民が必要とする食糧の手配を閣下の力で宜しくお願いします」。
★マッカサ―は、臣下の態度で、「天皇陛下とは、そういうものでしたか、私も陛下の臣下に産まれたかった。私にできる事なら何なりとお申し付けください」。
★この言葉でマッカーサーは陛下に位負けし、占領政策はスムースに行われた。
間も無く食糧援助の豆糟(豆カス)、ナンバ粉(トウモロコシの粉)キュウバー糖と言われた砂糖、メリケン粉と呼ばれた小麦粉がありました。
小学生の私は「こんな旨い物が世の中にあったのか?と言う程美味しかった」。
半年も経ってか、年度の替わった頃には、食料難で飢える事は亡くなった。
★日本人には天皇陛下の心情を聞き、「読んで泣かざるは、男子にあらず!」と、言う言葉がある。 正に国民は泣いて感謝して忠誠を誓ったのである。
★また、当時の皇太子(今上陛下)の愚民化教育をせんと、送り込まれたバイニング夫人も皇太子殿下の日常に接する内に、人格に位負けをした。
アメリカに戻って、バイニング婦人は、日本の皇統の偉大さの普及に努める結果となったのである。
★占領軍の命によって出来た『自虐思想』が、あったとしても、日本人同士で交通事故を起こしたら、事故原因の追究より先に「御迷惑を掛けまして、お怪我は?」が、先である。
最早、世界中に謝っている。これ以上に『何を謝罪せよ』、と言うのか。
先ほどの、―遅すぎたマッカーサー元帥 の悔悟― の続きで、マッカーサーも、帰国後にアメリカ国会の演説で「東京裁判はアメリカの汚点である」と言ったと聞いている。
★直、世界の有名人の言葉を紹介する。
1、インドのパール判事
日本が戦争に踏み切ったのは「侵略のためではなく」独断的な政策をとった 西洋諸国によって挑発された為であり、「東京裁判は正義の実現ではなく 勝利者による復讐」であるとし、「日本は国際法に照らして無罪である」と 主張したが、その主張を法廷で述べることを許されなかった。
2、米国のブレークニー弁護士
「日本は原爆に対して報復する権利を持つ」とウエッブ裁判長に抗議。
3、豪州のウエップ裁判長
帰国後「東京裁判は誤りであった」と繰り返し表明。
4、オランダのレーリング判事
裁判終了後に「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような 事実誤認があったが、裁判中は箝口令がひかれていて言えなかった」 と発言。
また、「私たちは国際法を擁護するために裁判をしていたはずなのに、 連合国が国際法を徹底的に踏み躙ったことを、毎日見せ付けられていたから それは酷いものだった。
5、もちろん、勝者と敗者を一緒に裁くことは不可能だった。 まさに復讐劇だった。と述べた。
6、フランスのベルナール判事
レーリング判事と同様な発言を裁判終了後に公にした。
7、アメリカのキーナン首席検事
日本糾弾の旗頭キーナンですら裁判が終わった後に、「東京裁判は公正なものではなかった」と発言する。
8、イギリスの国際法の権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』という本の中で「日本無罪論のパール判事の主張は 絶対に正しい」と明言。
9、イギリス法曹界の権威者、ビール氏
『野蛮への接近』という著書のなかで「東京裁判は勝者が敗者に加えた 野蛮きわまりない復讐行為である」と断言。
10、マレーシアの首相・マハティール・ビン・モハマド氏に至っては、日本人血を流し、我々の独立を助けてくれたのだ。それを、迷惑を掛けた等と「何故謝る!」と不審がっている。
さらに、「戦争で破壊し尽された日本の復興の見事さを見習え!」、
「ルック・イースト」(東の日本を見え)と、叫んでいる。
★世界の国々は、これだけ日本を支持しているのだ。
―戦後レジームからの脱却―
―安倍総理が戦後レジームからの脱却を唱えてから久しい―
幸いな事に、安倍総理の三選を果たし、長期政権が可能となった。
長期政権は腐敗に通じる、というが、アメリカの大統領は二回の十年、ヨーロッパ諸国のリーダーを見ても、安倍総理の九年は妥当の範囲内と信じる。
★この長期政権が腐敗方向に流れるか、何時までも若さを保てるか、は野党の責任が重大である。
民主主義は多数決で成り立つ。過半数を持たない野党の意見は通らない、
当然の事である。しかし、それを我慢して、通らない、と解っていても真面目に審議する。
それが次期選挙に繁栄するのだ。
「少数意見の無視だ!」等のパホーマンス等を国会の内外で行なって選挙民の支持が得ると思うか、不思議である。
―ロビー活動の強化―
★この世界情勢を背景に、国連総会で戦後レジームからの脱却、自衛隊の国軍に変更を宣言すれば拍手喝采、間違いなし。
★この機会に、国連でのロビー活動の専門部隊を創るべきである。
これは、外務官僚ではなく、志願兵を募集し、精鋭部隊を組織するのだ。
反日の一番強い韓国が、「日本は歴史を直視しろ!」と叫ぶが、
「正しい歴史を歪曲しているのが南北朝鮮である」。
★宣伝合戦というから、これも武器を使わぬ戦争である。負けてはならない。
★反対するには、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、韓国位のものである。
さらに、今次大戦でアジア、アフリカの植民地を全て失った、英、仏、蘭も、旧・植民が独立して、経済は発展し、これの国の市場を提供し、共に繁栄を享受して、最早、恨んでいる国等は皆無である。
★中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、韓国の三国は、この国際世論を聞えないフリをして反対を叫ぶであろう。
★引っ越しもできない厄介なお隣サンだ。ボヤクいるだけでなく、断固、広報合戦の宣戦布告をして戦おう。
これ以上に「謝辞を要求せよ!」と迫る心情は、日本人には持ち合わせません。
★日本人の精神構造は余韻を残して、すべてを言わないのが美徳とされています。
★下世話の『寅さん』でも「そこまで言っちゃ~終わりだよ!」との名セリフがある。
人別帳(現在の戸籍簿)から消された渡世人(博打打ち)と呼ばれた人々も、遊女宿の女と分れて、旅に出る朝、
また、「御近いうちにおいでを」、の挨拶に、縞の合羽を肩にかけ、「縁と命があったらまた会おうぜ!」と粋に旅立つ。
無学な『博徒、渡世人、と呼ばれたヤクザにも(一期一会)の感覚を持ち合わせていたのである。
575の17文字で全てを表現する俳句、57577の三十一文字(ミソヒトモジ)で愛情や森羅万象を表現する短歌の余韻を理解しなければ日本人ではない、と言われても仕方がないのです。
この日本人の『奥ゆかしさを、理解でない民族は、犬、猫の劣る民族に何を言うのか!?
この粋の感情を理解しない、隣人と如何に着き合って行くかを思うと気持ちが暗くなる。
だが、気を持ち直し、「明日へ向かって、歩かねばならぬ。
(完) 豊永高明 拝、
0コメント