9)米ソ冷戦が始まる ―鉄のカーテンが引かれたー 惹かれた 第二次世界の終結と同時に、ソ連と隣接する諸国をソ連の衛星国にせんと、鉄のカーテンが引かれた、と英国宰相チャーチルが揶揄を籠めて、宣言をした

9)米ソ冷戦が始まる

―鉄のカーテンが引かれたー 惹かれた

第二次世界の終結と同時に、ソ連と隣接する諸国をソ連の衛星国にせんと、鉄のカーテンが引かれた、と英国宰相チャーチルが揶揄を籠めて、宣言をした。

同時に米ソの睨み合いが始まった。

続いて1956年6月に、北朝鮮軍がソ連に支給された戦車を先頭に、28度線を突破して朝鮮戦争が勃発、アメリカが韓国を支援し、本格的な米ソの代理戦争と、睨み合いの冷戦状態となって、東西対立は本格化し、当然の事、日本はアメリカを盟主とした東陣営の一員として参加した。

★現在の世界情勢は、今次世界大戦で日独が敗れ、世界の覇権を求め、米ソが冷戦を戦ったが、四十有余年、経済力が劣る、共産主義のソ連が倒れた。

その後の世界は、経済は資本主義で、政治形態は共産党の独裁という変則国家のチャイナの経済が発展し、チャイナが世界の覇権を求め、アメリカと争っている。

★そこに、冷戦に敗れた結果、ソ連は解体し、15の共和国となり、その中の一大国ロシアが、隙きあらば、覇権争いに参入せんと虎視眈眈と狙っていている。

★米、中、ソの三つ巴に争いに日本は、如何に対処するかの重大な岐路に立つ日本である。

★『未来の予想は歴史に学ぶ』

『小人は自己の経験を思い、賢人は歴史に学び、聖人は歴史で悟』と、言う言葉がある。

 研究する必要があると思うが、未来の政策、研究の為に、日本はせめて賢者の立場で臨みたい。

―マッカーサーの本音と私怨(怨念)―

★日本の天皇陛下

我が国の戦後を考える場合、日本占領軍司令部ができた数実後、天皇陛下が通訳一人を伴って総司令部に、司令長官であるダグラス・マッカーサーを訪ねた。

マッカサ―は、陛下が二個師団の近衛師団の精鋭の守る皇居に住んでいる、のは事前の調査で解っていた。

これを如何にして逮捕するかの思案をしていた。

そのお目当ての陛下が、自分を訪ねて来たのだ。

「命乞いか?亡命希望か?」。尊大のソフワアーに収まって立って迎えもしない。

国際ルールに従った、挨拶が終わると、陛下は直立したまま、

★陛下は開口一番、「ポツダム宣言には、戦争犯罪人を裁くとある。

『朕』が日本国の最高責任者である。彼等は朕の命で働いたに過ぎない。

「責任者を裁くなら朕を裁け!」。 

「裁いた結果が極刑(死刑)であっても、甘んじて受ける」。

★世界戦史に例を見ないこの言葉に驚いた、マッカーサーは、すっくと立ち上がって、「日本の天皇陛下」とはそのようなお方でしたか?私も、陛下の臣に産まれたかった。

と、臣下の礼をとって、陛下の肩を抱きかかえるようにして、ソフアーに座らせ、「陛下はお疲れのようだ。コーヒーでも差し上げ、少しお休みをして頂け」と、部下に命じた。

★さらに陛下は、皇室名義の有価証券の入った風呂敷包を差出し、これが朕の自由になる資産の全てである。

八千万の国民が、戦災で家、衣類も全て焼かれ、その日の食べ物にも困っている。

閣下の御力で、国民を飢えから救って頂きたい。と、いうのだ。

★陛下の人徳に驚き、私のできる事なら何なり思うし付け下さい。

と、臣下の礼でお答えする。

★間もなくあらゆる食料援助法を動員した食料が、日本の港に付いた。

先ず、脱脂粉乳にナンバ粉(トウモロコシの粉)は、向こう(アメリカ)では家畜の餌だ。と言いながらも、料理法を研究しながら我々の胃袋に消えた。

続いてキュウバー糖(砂糖)、メリケン粉と呼ばれたアメリカ産の小麦粉等は、「こんなに旨い食べ物が世界にはあったのか?と驚いた。

―日本の飢餓状態は終わったー

★日本の飢餓状態は、戦争末期の半年、戦後の半年で、昭和21年度のなった頃には、贅沢さえ言わなければひもじさからは解放された。

我々日本人は、敗戦の荒廃から日本が立ち上がれたのは、天皇陛下の並外れた人徳に参ったマッカ―サ―の協力とあっての事と信じて、マッカーサーの事を神のように崇める者も多いが、マッカーサーの本音を探って見る事にする。

    続く、

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