3)朝鮮は清朝の属国か、独立国家?

3)朝鮮は清朝の属国か、独立国家?

時代は下がって明治維新緒改革が成功し、近代国家日本が誕生し、近隣諸国に国交開始の使者を送った。

★李斯朝鮮は、日本の使者が、『外交慣例に従った、西洋風の洋風を着用していたのを見とがめ』、「我が国と国交をしたければ、チャイナ風の「衣冠束帯に改め、出直して来い!」、追い返した。

清国を創始国と崇める朝鮮は、事毎に清朝に気を使って我が日本に辛く当ってくる。

★近代化完成した我が日本は、明治の維新を参考にし、清国、李斯朝鮮も近代国家となって、欧米列強に対抗しなければ植民地にされてしまう事は頷ける。

衰えたりと言えども大国の清朝は、朝鮮半島は、長年に亘って支配してきた。清国の属領だと言い募る。

★結果は、清国と日本は、李朝は、「清国の属国か?」、「独立国家か?」を争って、朝鮮半島を舞台に日清戦争を戦い、日本が勝利した。

★講和談判で日本を訪れた、清国の全権大使李 鴻章が、瀬戸内海の島々の風景を見て、読んだ歌である。

「耕して天までに至る,精なるかな、貧成るかな」。

「あんなに山の上までの内にするとは、勤勉な事である。しかし、貧しい国のだな。

こんな貧乏な国と戦をして負けるとは?」と嘆いていた。

★結果は、下関条約で朝鮮半島、台湾の割譲を受けた。

しかし、その頃にはロシアが不凍港を求め、満州まで大軍を派遣し、虎視眈眈と朝鮮半島を我が物にせんと狙っていた。

★そして遂に、日露戦争が勃発し、陸軍は奉天でロシア軍を破り、海では日本海でロシアの誇るバチック艦隊を壊滅さす、大勝利で戦いの幕は終わった。

★世界の与論は「白人の大国、ロシア」を、黄色人種の日本が破った事を絶賛する、と同時にアメリカ等は、むしろ畏敬から、恐怖を感じるようなってきた。

―反日運動の始まり(人種差別)―

★それが表面化したのが、1924年(大正13年)『絶対排日移民法』を制定し、日本からの移民を排除し始めた。

『絶対排日移民法』の制定の6年前にアメリカ政府の意向を汲んで、対米移民の自主規制をしたが、ヨーロッパ系の移民を促進する一方での排日は人種差別に他ならない。

★だが、延び盛りの日本は四つの島での人口は養いきれないので、アメリカを市場にする事を求めたが、アメリカは忌避する。

日本は、当然のように、シナ、満州に市場を求め、進出して行った、

★当時の満州は、『ノウマン・ランド』(人のいない地域)と呼ばれていた未開の原野であった。

★日米は何故、戦わねばならなかったか? 

―ロビー活動の重要性―

★そのロビーの宣伝合戦で儲けた者は誰だ?を、検証したみたい。

『今回のオリンピック招致活動の裏話を聞き、如何に広報活動が大事かを、身を持って体験したと思う。 このたびの日本は、正に挙国一致で(皇室、総理まで参加)ロビー活動をした結果が出たのである』。

★私は、日本人の交渉と言うか、宣伝下手な事は期会ある毎に、各所で書いてきた。

★中、韓が行う世界でのロビー活動の被害者は、『日本』と『アメリカ』である事を認識して欲しい。

チャイナ大陸の清朝が滅亡したのが1644年~1912年に中華民国誕生するまでのチャイナの国土の各地に、清朝の残党である将軍達が、部下に兵力を引き連れ、軍閥を組織し、各地に割拠した、混乱を極めた状態であった。

この当たりの状況は、イギリスの女性作家・「パールバック」著の小説、「大地」、「息子達」、「亡び行く一族」の三部作に、詳しく書いてある。

私の高校生時代のベストセラーで、図書室にあったのを、争って読んだ記憶がある。何度も増刊しているので、図書館に行けばあるので、御一読を勧める。」

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