世界史の嘘を書き直そう! (仮称)


(第一章のみ)

1)始めに(私の人生)

★私の記憶のあるかぎり健康体で、少年、青年、壮年時代を『快眠、快食、快便』で、薬嫌いの、病知らず、で過ごした。 医者に罹ったのは、水虫が酷く、靴が履けずに困ったときくらいであった。 

朝の7時に家を出て、帰宅は早い時でも夜の8時。お客の接待で遅ければ午前様もしばしばあった、その間は革靴の履きっぱなしであった。

★会社を休んだのは、30代の創業間なしの頃の繁忙期で受注が重なり、一週間ほど長距離の夜行運転が重なり、徹夜が続き、一度睡眠不足の疲労で2~3日休んだ事があった。

しかし、休養だけで医者の世話になっていない。

―健康自慢をしても病は襲ってくるー

★そんな健康自慢の私でもでも年には勝てない。70歳の誕生日の三日前、当然会社でトイレを出た途端に『す~う~』と足の力が抜け、倒れそうになった。

変だと思って扉の取手に掴まろうとしたが、右手にも力が入らず立っていられない。

へたり込むように床に座り込んだ。

幸いにも昼休みの時間である。社員の出入りは絶え間がない。

後から来た社員が、「社長が大変だ!」と、叫んだ。

数人の社員が駆け付け、抱きかかえ、廊下の片隅に寝かせ「誰か救急車!救急車!」叫ぶ。

誰かが「俺の車が受けつけの前に止まっている。その方が早い」、叫んでいる。

私は、「これは異常な頃が起っている」、という事はきが付いていた。

★「救急車を読んでくれ」、と、近くにいた誰かに頼んだ」。

私は、若い頃から、社員が怪我をすると、救護には率先してやった」、その時の経験で、自分で連れて行くと外来である。外来は順番である。この際、順番待ちなどされたら堪らない。

救急車なら文字通りの急急でサイレンを鳴らして救急車が入って来る。待ち受けたストレッチャーに乗せると彼等は走って検査室へ運ぶ。

待つ間もなく救急車が着く、乗せられた頃には私の意識は薄れて行く私の耳に、指図を仰ぐ救急隊の言葉が耳に入ってくる。

搬送先の京都療養所(旧・国立病院)に運び込まれた時には意識が無かった。

数日後、意識の戻った私に聞かされたのは、病名は『脳梗塞』で、三ヶ月の安静治療である。しかし、脳梗塞は収まっても、50年も扱き使った体、次々と病がやってくる。

★投げ出した格好で病院に運び込まれたが、会社の組織は既にでき上がており、平常業務は社長不在でも事欠かない。

しかも一日置きにはベテランの社員が、それぞれの立場で報告にくる。

リハビリを含めての半年、思えば17歳で家業を継ぎ、会社組織にして50年。

猛烈社長を、自他共に認める私は一度も長期休暇等は取った事はない。

★次々と襲ってくる病、天の与えてくれた休暇だと思って楽しもう、心に決めた。

読者を趣味と言える私は、出張の時間の待ちに書店には必ず入る。

書溜めた本は何百冊もある。

これが全て読める、と思った途端に、「天の与えてくれた休暇が嬉しくなって」、読みに読んだ。

すると面白い事に気が付いた。

「歴史の嘘だ!」。

フースブックを始めて八年になる。月に20回は投稿する。文章を書く楽しみも覚えた。

次回にでてくる私の経歴、小学校六年で終戦で銃後の少年も優等生だ。

★終戦の翌日から変わった価値観、「何かが可笑しい」、「何かが間違っている」、と思い続けた人生である、

それが人生75歳、古希を越えて5年経って気が付いた。

―歴史は勝者の手によって、勝者の思い通りに書かれるー

★「世界史の嘘と捏造」を、一巻、五万字を五十字で書き上げたが、出版社は『無名の著者の書いた本は売れません』で、相手にしてくれない。

そこで思い付いた。フエ-ブックなら誰でも乗せたくれる。フエース、ブックだ、発表して世の識者に問おう。

―同感なら「いいね」―

見があればコメントで、『フースブックのコメントを議論』の場とし、ホーム頁を保管場所、メルマガを郵便箱としたい。

★評判が良ければ書物にして出版したい。

第一章の、『大東亜戦争は植民地の開放であり、侵略戦争ではなかった』。の素案はほぼ完了。

近日公開。

「乞うご期待を!」。 豊永高明 拝、

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