大学の乱立で質が低下してきた。

★古い話である。 これからの『大学は量より質だ』、と、認可される筈の三校が、田中真紀子・文科大臣が認可しないとの発言で物議をかもした。

新設大学の設備機器の製作及び各社納入で下請け、として参加した経験かれ知った、制度矛盾は後程に語ってみたい。

大雑把に言って、文部省に計画案を提出する。 学生の応募数、既存の大学の定員数等を勘案。必要だ、と文科省の役人が判断すると、建物、備品、教師の確保を説明。

これが認められると、実際の校舎を建て、各種備品を並べて、校舎、備品に問題は検査を受ける。

もう借り認可が降りたら、文科省と業者の共同作業でして、認可となる。

そこで、最終認可を大臣が降ろす。 この慣習を知らずに文科大臣になった田中真紀子の失敗である。革命を起こし、前・政権を否定するなら別である。

★ここで、今、政府の考えている、大学の無償化、是非も共に、世界的デフレで就職難の現実で感じたことを述べて見たい。

★先ず、 スクール(学校)の語源はギリシャ語の余暇である事を念頭に置いて欲しい。

国民全体の寿命が延びてきた。必然的に定年後の人生も伸びる。定年時と、年金支給とのギャップをどうするか? 

定年を延長すれば企業は新卒の若者の採用を控え、雇用の問題が生ずる。 この対策に識者が喧々諤々の議論をしている。 

浅学の私だが、五十年の実社会の経験から生まれた、直観が筆者に命ずるのだ。

★現在の社会通念では、大学出て就職をすれば管理職候補で、課長、部長、役員、社長と出世コースのエスカレターの乗ることが保障された、と思っている

だが、筆者が社会に出た戦後の昭和20年代の、大学生が何人いたかは知らないが、恐らく一割もいなかったであろう。 当時の親の感覚では、我が子を、旧制中学を出せば中等教育を受けさせた、と自慢ができたと感じであった。 

★大方の子供は中学を出れば、高校には行かず、働きに出るのが普通で、農村地帯では『ああ~上野駅』で表現された集団就職で都会に働きに出た。 高度成長が始まった社会は、必要な労働力として受けいれ、経済は高度成長の道をひた走った。 当時、高校を出れば事務職として入社、下級将校(課長)へ昇進の道があった。 

集団就職で入社した若者は、養成校(企業に呼び名は違う)を経て班長、職長となって、下士官として技能職の指導に当たり、定年後は下請け企業に天下って、技術指導、会社のシスティムの指導を含め活動し生涯を企業の為に働くのだ。

ところが、一般社員の給与が上がり、生活が豊かになると、進学率も高まり、学生の五割が大学卒のなると、大卒、即、幹部候補生の道はなくなった。

★ 日本の高学歴は、幕末から明治初期の日本人は、主に下級武士の知的好奇心は旺盛で、『学びたい、の一心』で新知識を学べる所を探した。  司馬良太朗の、『坂の上の雲』に、でてくる、秋山好古、實之兄弟に代表される、貧乏士族の子弟は知識を求める意欲が旺盛で、学費がタダの学校なら、学ぶ学問は何でも良かった。 

★明治の近代化で全国に創った小中学校の教員を養成するために、頭脳明晰でも経済力の無い家庭の子弟を、師範学校は授業料無料で受け入れ学ばし教員を養成した。

これが日本の教育の底辺を支え、先進国へと直走ったのである。

★日本騎兵隊の創設者、秋山好古が士官学校・騎兵課を選んだのは、西南戦争の最中で、即、戦力が欲しかった為、三年で卒業、即、少尉任官で給与が貰えた。 

それを家に仕送りをすることができる、という簡単な理由からであった。 兄の仕送りで東京に出て、大学で学間を学びかけたが、折からの富国強兵で海軍兵学校の生徒募集を知って、学費は生活費を含んで無料である。 兄の世話にならず、学問ができる。と海軍兵学校に入学、卒業後、直ちに海軍士官に奉職、海軍の作戦参謀として日本海海戦を勝利に導いた。 

★兄の好古も騎兵の創設者として日露戦争の勝利に導き、陸軍大将の地位を得た。 

共に最高学歴で相応の地位を得た。

彼等は決して自分の立身、出世の為に学問を学んだのではなく、世界の硬度文明を、『坂の上の雲』を、目指し、ひたすらに上ったのである。

★続く世代の若者はこれを見習ったが、彼等のした刻苦勉励の努力は忘れ、大学さえ出れば出世ができると勘違いし、争って大学に入った。

さらに、有名大学(東大をはじめ帝大系)を卒業し、上級公務員試験を経て高級官僚のとなった。 これを見習い、子供が生まれると、幼稚園から小学校まで有名私立校、高校は麻布、東大で高級官僚の道を選んだ。 

★東大、京大は無理でも大学さえ出ればと、前出の田中真紀子・文科大臣のいう大学の乱立で、質の低下が叫ばれる時代となり、『テレビ番組で大学は出たけれど!』というテレビ番組で騒がれ、笑うに笑えない時代となった。

★さらに、経済のグローバル化で、各種資源は地球のどこからでも、安いとこで買う、と言う状態が発生。 また、労働力も賃金の安さを求めて、工場も各地に移転された。

TPPが成立すれば、労働者は仕事を求め、国境を越えて移動ができる時代が来るのだ。 価格競争は賃金にまで及んできた。 賃金は途上国の賃金との差が限りなく収斂して行く、労働力の過剰となってきた。 さらに、定年の延長は企業の新入社員の採用を控えるのは当然の流れである。 この解決で、我々の思案や如何に。

  了)   豊永高明 拝

  

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