『白人の神様と日本人の神様の違い』。
★白人(ヨロッパ)の神様が創った人間の始祖、アダム(男)、イブ(女)は、神様と同じ天国で何不自由なく暮らしていた。 神様は「この木の実(禁断の木の実)だけは食べてはいけない。とお命じになりました。 これを聞いていた邪悪な蛇が「きっと美味しいので神様が一人で食べようと思い、お前達に食べさせないのだよ」。 と ~言われて二人は禁断の木の実を食べてしまった
~ すると二人は素っ裸で自分等が恥ずかしくなった~
そこでイチジクの葉で、衣を造って身に纏った。 神様の見つかり、何不自由のない生活の天国から地上に追放されル事になりました。
★しかも、罰として、女のイブは子供を産む苦しみの罰を授かり、男のアダムは家族を養うために働かなければならない、と、いう罰を与えられた。
~これを人間の原罪と言うらしい~
『産みの苦しみ』は『神の与えた罰であり、男の働きは『苦役』なのだ。
★日本には『八百万の神』と言って800万の神様が『高天原』に集い、山の神、川の神、畑の神・・・田圃の神・・・それぞれが役目を分担して人間を護っているので、そんな間違いは起こさない。
★女は『産みの喜び』。
★男は『働ける喜び』である。
★日本では、春は収穫を祈って『春祭り』、秋は収穫に感謝して『秋祭り』には『お神酒』を供え、(御下がりで)、飲めや、歌えや、と楽しむのだ。
★神と人間は共存しているのだ。 海辺の村でクジラが獲れると七つの村が賑わって、『お祭り騒ぎ』をする、と聞く。 生き物の命を頂くので、肉は勿論、皮も骨、油(鯨油)捨てる物などないく、無駄なく頂くのだ。
★変わった物ではクジラの髭は、戦国武将の使い番(伝令)が背負った幌のシンはクジラの髭を使ったと聞く。 風に煽られ、撓って大きく見せるのには最高だそうである。 (金沢市の前田利家神社の縁起書より)
★神武天皇が橿原の宮で即位以来、日本人は日本の『八百万の神』を祭って生活していた。 それが聖徳太子(547~622)の施政時代に、シナ大陸から海を渡って多数の渡来人がやってきた。彼は彼等の神(仏)を持っている。 お互いの神の祭りを、盛大に行う。当然、イザコザは起る。
★時の為政者、大子は、「和をもって尊しとする」、に始まる十七條の憲法を制定。 渡来人と在来人との融和を図った。 そして彼等の神、仏教も自ら学んだ。
そして彼等の神も決して排他的ではなく、日本の神と両立は可能と判断して、『仏教も敬え』の触れも出している。
★日本人は『良い、と思えば誰からでも、独からでも学ぶ。無理な要求には、死んでも反対する』。 ★鎌倉武士は『元に臣従要請』には断固闘い見事に撃退さす。
★今次大戦でも同じ、『ハル・ノート』なる不当な要求には屈することなく断固闘う。
★ロシアの南下を防ぐための『日露戦争』に勝利し、世界を驚嘆させ、有色人種でも白人に勝てるのだ。と憧憬も受けた。
★38年後の1941年にはアメリカの要求する『ハル・ノート』を、拒否。 同年12月8日、日本は大東亜戦争に踏み切った。
初戦こそ、ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカの東洋艦隊の主禄を壊滅。
12月10日には英国自慢の『不沈戦艦」と言われた『プリンス・オブ。ウエルす』は、マレイ半島沖で日本航空隊が発見。
数時間の激闘の末、両艦『レパルス」ともに沈没、海底の藻屑となる。
最初は有利に展開したが、衆寡敵せず3年8ヶ月の戦闘の末、ポツダム宣言受諾、という形で終戦。
★不当な要求には命を懸け断固闘う。 これが戦った敵、アメリカも畏敬に念を持って付き合い、今では最強で最高の同盟国であり、戦いの旗印に掲げた、『自存自衛』と『アジアの植民地解放』はなったのである。
1、 日本は経済大国として復活、チャイナに抜かれたとはとは言え、世界三位の経済大国である。 2、 植民地の解放はアジアが独立すると、アラブ、アフリカの波及。世界の国々は総べて独立をしている。
3、 戦前の国家の数は、指を折って数える程であったが、今では国連加盟国が193ヶ国であり、例外はあっても人権は認められている。
4、 反する白人の神は、まだ、地球は球体だという事を知らぬ時代に、ポルトガルのエリリチン王子が大航海時代に始めて見つけた土地,島を自国の領土にした。
5、 それをローマ法王が承認するのだ、今で言う登記である。
6、 15世紀にコロンブスが、今のパナマに到着。 先ずインカ帝国を発見、馬に乗って、鉄砲を持った四百人で南米を発見、南米を征服、驚き逃げるものは馬で追い付き、捕らえられ、奴隷にされ、刃向う者は鉄砲で射殺。百年(一世紀)で南アメリカ大陸を制圧。 金銀財宝を奪い、本国に持ち帰り、スぺインのみが繁栄の限りを尽くした。 続いて北アメリカ(現・アメリカ)も発見したが、英、仏の争いに負け、極東の日本に到着。 ローマ法王の野望 (スペイン、ポルトガルを先兵としての世界征服)
★鉄砲が種子島伝わったのが1545年。フランシスコ・ザビエルが日本に来たのは1543年、ポロトガル、スペインは、ほぼ同時に日本に付いている。 両国王は、カソリックのローマ法王に、「どちらの領土か?」の裁定を仰いだ。 概略の日本地図を描き、ほぼ中央に腺を牽き、半分に分け、片方づつ領土にせよ、と裁定した。 そこの住人は?の質問に、「カソリックに帰依したら人間、帰依しなければ獣(動物)にせよ!」。裁定した。
ローマ法王は、スペイン、ポルトガルを先兵として世界征服を企み、有色人種は全て白人の奴隷にしようと企む恐ろしい存在であった。
★ある時、荷役作業をしているスペインの作業員の雑談で、「僅かな珍品を貰って何れ我等の植民地される馬鹿共だ」、あざ笑っていたのを、作業中に覚えたスペイン語を聞いて、上役の秀吉に御注進をした。
★秀吉も主人の織田信長に、「スペインの野望を告げ、ご用心を進言した。信長は笑って、スペインは遠隔地。そんな奴らに負ける我々日本の武士等いない。と笑っていた。 だg、秀吉は忘れていなかった。
★後日、本能寺の変で信長は死んだ。以後の幾多の合戦の末、天下を取った、ある日、見慣れた女性が何時の間にかいなくなった。不審に思った秀吉が調べると、「神のお告げがあった」と、伴天連が連れて行ったと言う事であった。
女の行儀、躾は充分に出きた日本の女性は、世界の男の憧れだったので、何処かの国の王様か貴族に妾として売り飛ばされたに違いない。怒った秀吉が、 「代金は俺が払うので、連れ戻せ!」、命じた。伴天連は、
★「私が売ったのは奴隷商人で、恐らく転売されていて、買い戻しは不可能です」。の返事に怒った秀吉は、伴天連に耶蘇の布教を禁止した。だが、秘密裏で布教する伴天連を磔の刑に処したが、関与しなかった伴天連は国外に追放した。 困った伴天連はマカオのアジア支部を通して、本国から援軍を得て、日本の侵略も検討したが、武士の数、鉄砲の数と性能、何処をとっても勝ち目はない、と判断してアジアから撤退した。最盛期を越えた秀吉は、糟糠の妻・ネネの子供ができなかったので、側室の淀君の産んだ秀頼を溺愛した。
後世の歴史家はボケ老人のように言うが、秀吉の慧眼がローマ法王の野望を防いだのである。
★江戸時代の260年続いた、平和で繁栄した事は、武力の裏打ちがあって始めて、初めて江戸文化の華が開いたのである。
もし、この時に日本が軍事的に弱かったら、スペインに侵略され植民地となって、木造文化の日本など地上に存在した事実などは一切残っていないだろう。
★ 時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し
ロバート・ブラウニング(1812年5月7日 - 1889年12月12日)は、イギリスの詩人である。これに出てくる神は言わずと知れた白人の神である。
如何にこの世を白人中心で見ているかを表している。
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