今年も暑い夏がやって来た!

(日本が大東亜戦争に踏み切った理由)。 

★8月6日の広島、9日の長崎の原爆が投下され、数十万の無辜の民が死んだ記念日である。 総理大臣、広島、長崎の県知事、その他各界の名士、『似非平和主義者が集い、『平和の誓』なで、世間は姦しい。 その前哨戦か?『語り部』と称する沖縄戦に看護婦として動員された『元・少女で現在は老婆を連れだし』、高校生の集団の前で話をしをさす。 

 ★地下壕の絵図を示し、地下壕の不潔さ、そこに担ぎこまれる腕又は足を亡くし、苦痛に喘ぐ負傷兵。 「そんな戦争はなにがなんでもやってはいけません」。と、純粋無垢の高校生に語り懸ける」。 であ。 そんな戦争が「何故,起ったのか?」は、我々先輩は教えた事、考えた事はあったのか? 

 ~世の森羅万象全て原因があっての結果である~

 ★軍籍を解かれ、一民間人となった、占領軍総司令官・マッカサ―が1951年に、米国上院軍事外交共同委員会で、次のような証言をしました。 ~マッカーサーの悔悟~ 終戦後の1951年5月3日の米国上院軍事外交共同委員会でGHQのマッカーサーは次のように証言しました。 『「日本は4つの小さい島々に、8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」。 日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。 ] 

 ★彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。 石油の産出がない!綿がない!羊毛がない!スズがない!ゴムがない! 他にもないものばかりだった。 ★「その全てがアジアの海域に存在していた」 「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。 

 ★それを彼らは恐れた。 従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」。 会場はどよめきました。 証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになるからです。

★つまり、アメリカにとっては「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」ということになっているのに、その前提を根底から覆す証言になるからです… 

★実際、明治維新以来、欧米列強に対抗するために「富国強兵」というスローガンを掲げ、 日本人は国づくりに励んできました。 そのために欠かせなかったのが、「重工業の継続的発展」である。

 ★日米開戦の半年前の時点でアメリカは日本へあらゆるものの輸入をストップしていました。 航空機、航空通信機器、工作機械、鉄鉱石、銑鉄、合金鉄、鉄製品、臭素、エチレン、研磨剤、油圧ポンプ、真鍮、亜鉛、ニッケル、カリ、ラジウム、牛革…など、日本人の経済活動に必要な資源はことごとく「禁輸」されていました… 。 ★所謂A(アメリカ),B(イギリス),C,(チャイナ)D、(オランダ)包囲網である。 これらがなければ日本人はじわじわ「殺されかけている」という状況だったわけである。 ★まさに、マッカーサーが言うようにアメリカに追い詰められて、「自衛の戦い」に踏み切ったのである。 しかし、そんなこともお構いなしでアメリカ大統領・ルーズベルトは日本を追い詰めていきました。 日本は懸命な日米交渉を続けようとしましたが、あらゆる手を使って日本をはぐらかしていました。 

 ★例えば日本の近衛首相が「直接会談をしたい」とルーズベルト大統領に懇願したところ、 アメリカ側はなんと回答をしてきたのか…? 『ハル・ノート』と言う、期限付きの最後通告である。

 ★この通告を出した事は政府の要人にさえ極秘であり、後に知った政府部内から、これでは『ナイト(騎士)が「手袋を投げた、と同じだ」。 名誉を重んじる男(武士)なら、負けると思っても、剣を抜いて立ち向かったであろう。であった。 

 ★「止まれ!」日本が、1920年、国際連盟の常任理事国になって最初の提案は『人種差別撤廃と植民地の解放である。 幸か不幸か、戦には敗れたが、日本の掲げた『アジアのあった欧米の植民地は解放された』。 釣られて、アラブ、アフリカも独立し、国連に加盟国は193ヶ国となって100年目に達成したのだ。 

 ★これを持って今次大戦で命を落とした軍人の300万、非戦闘員の民間人80万の御霊も安国神社神殿で安すらかに眠れるであろう。  明日はアジア諸国の反応を取材しました。          

          了)    豊永高明 排、  

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