観戦武官の招聘と記者団招待の意義

★宣戦布告無しの戦いが、特に尖閣諸島において続いている。

尖閣諸島の戦いが、世界戦争の発火点になり得る。

この戦いの状況を、継続的且つ大々的に、世界に正しく発信することは重要である。

★観戦武官とは(ウィキペディア引用)

この制度の起源は明らかではないが、傭兵ではない、国家による軍隊が必要であること、士官学校や国際法などの制度の成立が不可欠であることから、およそ19世紀半ばごろに確立されたものと思われる。

★日本では、1870年に普仏戦争を大山巌が観戦している。

また、1898年の米西戦争では秋山真之海軍大尉(後に中将。海軍戦術、『坂の上の雲』で有名)・柴五郎陸軍少佐(後の大将。義和団の乱では北京籠城戦を戦い抜く)が観戦武官として派遣された。

日露戦争の際には日露両国に対して、欧米諸国から多数の観戦武官派遣の申し入れがあり、日本はイギリス、アメリカ合衆国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、スペイン、イタリア、スイス、ノルウェー及びスウェーデン(スウェーデン=ノルウェー連合解消の時期と重なる)、ブラジル、チリ、アルゼンチン、オスマン帝国といった13の国々から70人以上の武官を迎えたと記録されている。

その内、先に日英同盟を結んだイギリスからの派遣が最多の33人となっている。

特にイギリスのイアン・ハミルトン(英語版)陸軍中将(後の第一次世界大戦でガリポリの

戦いで地中海遠征軍(英語版)を指揮)、ウィリアム・ペケナム英国海軍大佐(後に大将。

朝日に乗艦しての報告はジョン・アーバスノット・フィッシャー提督の目に留まり、ドレッドノートの設計に取り入れられた)、アメリカのアーサー・マッカーサー・ジュニア陸軍少将(後に中将。マッカーサーGHQ最高司令官の父)、ドイツのマックス・ホフマン陸軍大尉(第一次世界大戦では第8軍の参謀としてタンネンベルクの戦いを勝利に導く)など後の歴史に影響を与えた軍人も多かった。

★観戦武官の目的

戦争勃発前。

戦争中の状況を分析し、そして数々の有効な教訓を得ることができる。

観戦武官の多くの証言があり、貴重な資料となっている。

ジュネーブ条約などの戦時国際法に照らし、観察・評価ができる。 当事国の捕虜は適切に収容されているか等の監視機能も期待できる。

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