~アメリカ軍管理下のキューバの独立~
スペインは太平洋艦隊、大西洋艦隊を失い戦争を継続する能力を失った。
交戦状態は8月12日に停止された。
形式上の和平条約は12月10日にパリで調印された、パリ条約で、1899年2月6日にアメリカ上院によって批准された。
★戦勝国のアメリカはフィリピン、グアムおよびプエルトリコを含むスペイン植民地のほとんど全てを獲得し、キューバを保護国として事実上の支配下に置いた。
以降、アメリカの国力は飛躍的に拡大していき、南北アメリカ大陸と太平洋からスペインの影響力が一掃され、代わりにアメリカが影響力を持つという覇権の移譲とも取れる流れになっている。
戦後、スペインは植民地を失ったために国力が低下し、新興国家・アメリカにあっけなく敗れたこともあってヨーロッパでの国際的地位も発言力も同時に失った。
ルネサンスから始まったポルトガル海上帝国・スペイン帝国の帝国主義が破綻し、産業革命に支えられた新しい帝国主義へ完全に移り変わった瞬間とも取れる。
アメリカ連邦議会は開戦前に、キューバの独立を支持してこれを討論の後に承認した。
アメリカ軍は1909年1月28日までキューバを占領した。
アメリカはスペイン植民地のプエルトリコ(#プエルトリコ)、フィリピン(#フィリピン、#米比戦争)およびグアム(#グアム島)を併合した。
~アメリカ南北間の和解~
この短い戦争には、もう一つ興味深いがほとんど注目されなかった影響があった。
それはアメリカの北部と南部の関係を固める役目をしたということである。
この戦争は、1865年の南北戦争の終了以来、初めて両側に共通の敵を与えたものだった。
★1890年代は北軍支持者と南部連邦支持者の間の和解の期間で、北部と南部の政治家の政治的な調和を増加させた。
~人種差別の再燃~
1890年代は、さらに、北部における人種差別の再燃とジム・クロウ法の可決による白人と黒人の分離を増加させた時代でもあった。
それは1896年のプレッシー対ファーガソン裁判の最高裁判所による判決で最高潮に達して、その「分離すれども平等」主義を法律の中へ成文化した。
~イエロー・ジャーナリズム~
米比戦争時のニューヨークジャーナルの風刺画。
フィリピン人を銃殺しようとするアメリカ兵の背後には「10歳以上の者は皆殺し」と書かれている。
「イエロー・ジャーナリズム」も参照
さらに、米西戦争はイエロー・ジャーナリズムの影響が大きかったことで有名である。
ウィリアム・ランドルフ・ハーストのニューヨーク・ジャーナル紙とジョーゼフ・ピューリツァーのニューヨーク・ワールド紙の2紙は発行部数競争で熾烈な争いを行い、無責任なニュースをでっち上げたりもした。
このような競争の結果、ワールド紙が15,000部、ジャーナル紙が1,500部程度の発行数だったのがマニラ湾の戦いの時には160万部まで伸びた。
オーソン・ウェルズは、映画『市民ケーン』の中でこの様子を皮肉った。
~アメリカ反帝国主義連盟~
「アメリカ反帝国主義連盟」および「グロバー・クリーブランド」も参照
外国に植民地を持った「アメリカ帝国」についての考えは、ウィリアム・マッキンリー大統領と帝国主義賛同派の間で国内での激しく討議された。
アメリカの大衆の大部分は植民地の所有を支持した。
しかし、マーク・トウェインのような多くの率直な批評家もいた。
~米比戦争~
聞き慣れない言葉であるが、当時スペイン領のフイピッピンでも戦われ、アメリカ軍が圧勝した。
戦いに先だち、フイピッピンの独立を目指し、戦って来た独立派に、
アメリカがスペインに代わって国の統治を始めると同時に、アメリカとフィリピンの戦争が、フィリピン国内にまで広がったので、スペイン軍の背後から攻めて欲しい、と頼んだ。
独立の二文字に喜んだ、独立派がスペイン軍を背後から猛攻撃。
スペイン軍はあっさり降伏。
講和条約で、フィリピンを含む、南米に植民地,すべての施政権を割譲するので、和解金として二千万ドル頂きたい。と要求。アメリカは快諾。
背後を攻めて独立を認める。の約束をあっさり反故にした。
怒った独立派はアメリカに戦線布告。これを世界史では『米比戦争』と、呼ぶが、余りにも身勝手で恥ずかしいのか、地方の反乱勢力の内乱鎮圧の援助として、1898年8月14日に、11,000人の地上部隊がフィリピンを占領するために送られた。
戦争はフィリピン国家主義者の独立の望みを絶つ為、殺害した賊徒、20万人から150万人と言われる犠牲者が生じた、と国会に報告している。
筆者の考えは、大国の、このような無法行為を許す訳には行かぬけど、14世紀に、コロンブスが、スペインの嬢王の援助を得て西インド諸島を発見、その意志を継いだ、スペイン人、白人が15世紀の百年掛かって、古代文明で栄えた民族、部族の財産を奪い、皆殺しで、途絶えた民族は数知れない。
これを補ったのが、彼らが強姦してできた混血である。
今の南米は『ラテンアメリカ』と御ばれ、スペイン風の家、町に住んで、それなりの繁栄している。
これを、韓国のように「謝罪さ!」、「保証だ!」と騒いでも解決はしないが、この事実だけは歴史に事実を書き残さなければならない、と確信する。
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